2019年3月13日水曜日

飯山陽プロフィール

飯山陽(いいやまあかり)

▼専門

・イスラム法学
 →イスラム教の教義の基本を司るイスラム法が7世紀から現在までどのように成立し運用されてきたかの研究
・イスラム教に関わる世界情勢の調査・分析
 →世界中で発生するイスラム教やイスラム教徒に関わるあらゆる事案の情報収拾と分析

▼履歴

1976年 東京生まれ
1994年 筑波大学附属高等学校卒業
1998年 上智大学文学部史学科卒業
2000年 東京大学大学院人文社会系研究科修士課程修了
2000年〜2001年 文部省派遣留学生としてモロッコ留学
2001年〜現在 アラビア語通訳(テレビ取材、放送通訳、イベント通訳等)
2006年 東京大学大学院人文社会系研究科単位取得退学
2006年〜2011年 東京女子大学、上智大学、国士舘大学、東海大学、明治学院大学、千葉大学等で非常勤講師
2009年 東京大学より博士(文学)取得
2011年〜15年 エジプト(カイロ)にて調査・研究
2011年〜2020年 上智大学アジア文化研究所客員所員
2011年〜現在   執筆、企業、メディア向けのリサーチ、モニタリング、講演等
2017年〜現在 タイ(バンコク)にて調査・研究中 

▼単著

『イスラム教の論理』新潮社(新潮新書752)、2018年2月。
『イスラム2.0:SNSが変えた1400年の宗教観』河出書房新社(河出新書)、2019年11月。

連載

『ニューズウィーク日本版』コラム連載「疾風怒濤のイスラム世界」
FNNプライム寄稿
「イスラームの論理と倫理」晶文社。

▼関心

・今を生きる日本人がトラブルを避け安全に暮らすために知っておくべき世界情勢に関する情報の提供
・イスラム教やイスラム教徒について、イスラム擁護論にもヘイトにも偏らない客観的な情報と解説の提供
・イスラム2.0(インターネット時代のイスラム教)
・イスラム教と近代イデオロギーの相克が引き起こす諸現象の分析
・イスラム諸国の政治動静の分析
・イスラム教の宗教改革の行方 

▼好きなこと

・勉強/研究すること
・料理すること
・音楽を聞く/ライブに行くこと
・本を読むこと
・運動すること
・映画を観ること
・旅行すること
・動物と戯れること
・友達と喋ること



「敗北しても勝利」:イスラム国最後の拠点の内部映像が語る「イスラム教の論理」

2014年にシリアとイラクにまたがる地域を制圧し「カリフ制」再興を宣言したイスラム国は現在、シリアで支配していた最後の拠点バーグーズ陥落の瀬戸際に瀕しています。

アメリカに支援されているシリアのクルド人を中心とする武装組織SDFに包囲されて以来、バーグーズからは多くのイスラム国戦闘員やその家族らが投降してきました。

彼らが拘留されているキャンプには世界各国から多くのメディアが取材に訪れ、15歳の時に自らイスラム国入り「イスラム国花嫁」となったイギリス人シャミーマをはじめとする、多くの「イスラム国花嫁」やその子供たちが「発見」され、報道されました。

メディアはまた、「イスラム国花嫁」のほとんどがイスラム国入りしたことを後悔したり反省したりしていないばかりか、「イスラム国は永遠なり!」「アッラーフアクバル(神は偉大なり)!」と叫んだり「イスラム国こそ私たちの居場所。カリフ様が出て行くように言わなければ留まりたかった」と主張したりすることを、驚きをもって報道しています。

「イスラム国に行く人は洗脳されているに違いない」としか考えられない日本や西側諸国のメディアの人たちは、こうした女性たちを目の当たりにしてなお、「戦争や殺戮や飢えなど大変な目にあってきただろうに…いやー、洗脳って本当に強力」と、洗脳説から脱却できないようです。

しかし何をもって洗脳とするかについて議論しても不毛なのでしませんが、彼女らはイスラム国こそ真に正しいイスラム教の実践者なのだと信じているのです。

拙著『イスラム教の論理』にも記したように、伝統的なイスラム教の枠組み内では「イスラム国のイスラム教解釈は間違っている」と主張することはできても、それは「イスラム国のイスラム教解釈は正しい」という主張と同程度の価値しか有しません。

どのイスラム教解釈が正しいかを判断することができる人も組織も制度も、伝統的なイスラム教の枠組み内には存在しないのです。

話をシリアに戻しますが昨日、陥落間近のバーグーズの内部映像をイスラム国が公開しました。

コーラン章句を朗々と暗誦するこの戦闘員は、「なぜわずかな領土しか持たない我々を殲滅しようと世界中の不信仰国家がここにやって来て、そして我々を包囲するのか?それは我々が神の法の適用を意図したからだ!」と主張します。


世界のどこにもコーラン、神の法に基づいて統治を行う集団は我々イスラム国をおいて他にはない、そして我々は殺されたとしてもそれが勝利なのだ、と得意満面です。

彼は、自分たちは「この世(現世)の基準」ではなく「 あの世(来世)の基準」即ち、「神の基準」で生きているのだと強調します。

そして「この世の基準」では我々が殺され、焼かれたとしたら、それは我々の敗北だとみなされるだろうが、「神の基準」では我々は天国に迎えられるのであり、それは勝利なのである、とコーランを引用しつつ説明します。

全ては神の手中にあるので我々は忍耐する、この世で我々の道が閉ざされ包囲されても神への道は開かれている、勝利は神と神の使徒ムハンマドを愛する者の手に約束されている、勝利は近い、と訴えます。

このシャイフ風の人も、「我々は神の法(シャリーア)による統治を行っているからこそ攻撃されているのだ」「いくらここで我々の領土が狭まろうと神の勝利は近い」と主張します。

 この覆面戦闘員も、「我々はこの戦闘で敗北しても勝利する。もちろん勝利しても勝利である。だから恐れるな。飢えや欠乏を祝福せよ。神は信仰者に勝利をもたらす」と呼びかけます。


バーグーズ内部は車やバイクが行き交い、ベビーカーを押す女性や子供の姿も見られます。

イスラム法の秩序を街中で徹底させるヒスバによるパトロールも続けられています。

しつこいですが、イスラム国の人たちというのは、自分たちこそ最も正しく神の命令に従い神の法を適用していると信じている人々です。

彼らは、胡散臭いペテン師が自らの利益のためにあの手この手で弱者を洗脳して集めた集団ではありません。 

彼らのよすがは神の言葉であるコーランです。

そして彼らの目的はイスラム法による統治を世界中に拡大させることであり、その目的のために死ぬことは殉教であるとして全く厭いません。

なぜならイスラム教では、殉教者には天国、来世での救済が約束されているからです。

私たちの基準、私たちの価値観で彼らの考え、生き方を測っても、無意味なのです。

現在、SDFによって包囲され、間も無く陥落するであろうバーグーズの中にいるイスラム国戦闘員たちの言に耳を傾けることは、これから私たちがこうした人々とどう対峙していくべきかを考える上で非常に重要だと私は考えます。

2019年3月11日月曜日

イスラム教徒 vs. LGBT:イギリスの小学校でマイノリティ同士の戦い勃発

イギリスのバーミンガムにある小学校で今年2月、イスラム教徒の父母を中心とする300人ほどがLGBTについての授業に抗議するデモを行いました。(写真はMailOnlineより)


この小学校では「仲間はずれなんていない(No Outsiders)」というプログラムに従い、年に5回、LGBTの平等を促進しLGBTの価値観を支持する授業が行われていました。

そこではお母さんが二人いる家庭の話など、同性愛や同性婚の話を読ませ、その価値観を肯定するよう指導されていたとのこと。

これに対してイスラム教徒の父母は、「価値観の押し付けだ!」「子供の無垢さを利用するな!」「我々の子供に同性愛やLGBT的な生き方を勧めるな!」「我々の文化に対する差別だ!」等々と抗議、授業停止を求める署名活動が行われ、3月には授業に参加させないために600人ほどの子供を学校から連れ戻す事態に発展しました。

これを受けて学校は「仲間はずれなんていない」授業の停止を決定

一件落着かと思われたところで、今度はLGBTを支援する議員が、イスラム教徒父母の行動はLGBTに対するヘイト・クライムであり学校から生徒を連れ戻し教育を妨害したことに対して罰金が課せられるべきだと抗議しました。

LGBTの支援者らは、こうしたイスラム教徒たちによるLGBTに対する侮辱の声は日に日に大きくなっており、社会が分断されてきていると懸念を表明しています。

イスラム教徒とLGBTは共にいわゆる社会的なマイノリティであり、リベラル勢力が保護すべき対象だと主張してきた存在です。

今回発生したのは、マイノリティ同士の利益が相克するという事案です。

イスラム教においては、同性愛行為は神の秩序に対する反逆行為であるとして禁じられています。

イスラム法において合法とされる性交渉は、婚姻関係にある異性同士か、男の主人と女奴隷との間のもののみと規定されており、それ以外は全て違法なのです。

またイスラム教は、神は人間を男と女として創造し、それぞれにふさわしい規範を与えたと考えるので、男の身体を持って生まれたのに女だという自覚を持ち自分は本当は女だと主張する、といった「性同一性障害」というものの存在を本来的に想定していません。

心の中でそういった認識を持つだけならば自由ですが、それを表明することは全く認められないのです。

ですから、「LGBTの価値や生き方を認めましょう!」「LGBTも平等です! 」と学校で教え込まれるのは、イスラム教徒としては大変な迷惑なのです。

イスラム教徒は自分たちこそ「保護されるべきマイノリティ」だという認識があるので、「LGBTの価値を押し付けられるのはそれと矛盾するイスラム教の価値を軽視しているという点で差別的であり受け入れられない」、と主張しているのです。

一方、LGBTの側もイスラム教徒に「お前たちの価値は受け入れられない」と言われているわけですから、これは差別だと感じられます。

特に問題となった学校はイギリスの教育監査局オフステッドから高く評価されている普通教育を施す学校であり、決して宗教学校ではありません。

多様性のある社会を実現させようという流れの中で、なぜ自分たちがイスラム教徒に遠慮しなければならないのか、そんなことがあっていいわけがない、という主張も理解できます。

私はここで、イスラム教徒とLGBTのどちらに味方すべきか、という話がしたいわけでは全くありません。

私の目的は、マイノリティが個々の権利、利益を主張すればするほど、社会は分断されるという現象の具体例を示すことです。

今回のような事件が発生すれば、イスラム教徒も「LGBT教育反対!」という人と、「LGBTについて学ぶくらいはいいんじゃないの?」と考える人と、「俺/私も実はLGBT」と主張し始める人と…とさらに分裂するでしょう。

(実際、バーミンガムにはイスラム教徒LGBTの組織があります。)

LGBTの人々も「イスラム教徒もLGBT平等を認めるべき!」という人と、「イスラム教徒はLGBTを認めなくてもいいけどLGBT授業はすべき」という人と、「イスラム教徒にはLGBT授業は不要」という人と…とさらに分裂するでしょう。

多様性のある社会と聞いて想定するのは、様々な人種、宗教、文化、性的指向を持つ人々が、互いに認め合い、時にそこから新たな融合文化が生まれ出るような、ニューヨーク的な、理想的な社会かもしれません。

しかしバーミンガムの事例が示すのは、様々な特性を持つ人々同士は、互いを認め合うことがないどころか、互いの存在を否定し合い、権利を主張しあって争い合い、文化や社会は融合するどころかますます亀裂が増え分断が進むことがある、という事実です。

日本は欧米から何周も遅れて外国人労働者を受け入れることを決定し、今更のように「多様性のある社会を実現させよう!」と政界や経済界が声を合わせて主張し始めました。

私たちは、実態のない妄想としての理想的多様性社会を夢見るより、実態としての多様性社会でどのような問題が生じているか、それはどのようにこじれ、どのような解決をみるのかについて、注視しそこから学ぶべき時期にきているように思います。

2019年3月4日月曜日

イスラム教権威の「一夫多妻は女性に不公平」発言に大衆大激怒

2019年3月1日、エジプトのイスラム教研究・教育機関アズハルの総長アフマド・タイイブ師が国営テレビの番組に出演し、「一夫多妻は多くの場合女性と子供にとって不公平だ」と発言し、SNSでイスラム教徒大衆が大激怒する炎上騒ぎとなりました。


 タイイブ師は、エジプトの法で女性相続者の相続分が男性相続者の半分とされているのは改正されねばならない、なぜなら女性は我々社会の半分を構成しており、女性の利益を顧みないことは我々が片足で歩くようなものだからだ、と語ります。

そして相続だけでなく結婚における女性への不公平も改正していかねばならず、結婚の基本は一夫多妻だと主張する者は間違っており、コーランにおける結婚の基本は「もしあなた方が公平にはできないかもしれないと恐れるならば一人だけ娶れ」、つまり一夫一婦制だと述べました。

というのもタイイブ師曰く、「一夫多妻は非常に多くの場合において女性と子供たちに とって不公平」だからであり、イスラム教徒には一人だけでなく二人目、三人目、四人目の女性と結婚する「自由」があるのではなく、一夫多妻が例外的に許可されるためには複数の妻に対して公平であることが条件とされる、とのこと。

しかもこの場合、一夫多妻をとりあえずやってみて、それで公平にできるかどうか判断する、できなければ離婚する、といったやり方は認められないのであり、公平にできないかもしれないという恐れがほんの少しでもあるなら一夫多妻は認められない、と論じられています。

テレビでこの議論が放送されると、タイイブ師は一夫多妻を禁じようとしていると解釈した一般のイスラム教徒達が、一斉にSNSでタイイブ師を批判し始めました。

「黙れ。」
 「大嘘つき。」


 「無知蒙昧はもうたくさん。」


アズハル総長はエジプトのイスラム教の一大権威者です。その権威者がエジプト国営テレビで述べたイスラム教についての見解に対し、一般のイスラム教徒がこの反応です。

イスラム教は無知蒙昧だった「無明時代」に光をもたらしたと人々に信じられています。ところがそのイスラム教の伝統の護持者のトップに対し、在野の一般信者が「無知蒙昧」と罵詈雑言を投げかけるのですから、よほどのことです。

というのも、この議論は一見してコーランの有名な章句に抵触すると理解されたからです。

「アズハル総長が一夫多妻は不公平と論じるとは一体どういうことだ? 至高なる神が「あなたがたがよいと思う2人、3人または4人の女を娶れ」とおっしゃっているというのに。」


「啓示は貧乏な男にも金持ちの男にも四人の妻を娶ることを合法としているんだよ。」



「イスラム教徒の学者達はみな彼の見解に意義を唱えるね。」


「アズハル総長がこんなことを言うなんてありえない。強大なる神を畏れるべきだ。こんなことを言うなんてハラーム(違法行為)だ。」


「残念だけどタイイブ師は間違えてるし、離婚を増やすだけだね。確かに結婚において公平は義務だけど、彼が言ったようなやり方じゃないよ。」


インターネット時代を生きる今のイスラム教徒大衆は、かつての識字能力も論理的批判能力も持っていなかったイスラム教徒大衆とは異なります。

彼らはもはや、政治権力に取り込まれ地位と名誉と給料を与えられ「偉い」ということにされている宗教権威が、テレビやモスクで説くイスラム教を盲目的に信じる従順な大衆ではないのです。

インターネットの普及により、彼らはインターネットを通じてやすやすと啓示にアクセスし、特定の問題について何がイスラム教的に正しい、啓示に立脚した規範であるかを見極める能力を身につけました。

そして彼らは、「啓示に立脚する」というイスラム教で伝統的に正しいとされるやり方を踏襲することによって伝統的な宗教権威者の議論に挑戦し、反駁する能力を身につけました。

彼らはSNSで批判的コメントを書き込むことにも、全く躊躇はありません。

むしろ、イスラム教を歪曲しようとする不正なる「御用学者」は、どんどん批判しなければならないのです。

タイイブ師のこの議論については、このような書き込みもありました。

「シシ(エジプト大統領)の御用学者だな。 」


これぞまさに、私が昨年からあちこちで主張してきた「イスラム2.0」時代を象徴する現象です。

インターネットの普及により「イスラム法的リテラシー」を身につけ、脳内のイスラム・ソフトを「イスラム2.0」にアップグレードさせたイスラム教徒たちは、もはや御用学者が適当な議論で簡単にコロッと騙せるような「ちょろい」存在ではなくなっているのです。

先月、タイイブ師がカトリック教会のローマ教皇とともにUAEに招かれ、あたかもイスラム教徒を代表する最高権威であるかのような扱いを受けたことを皮肉るコメントも多くありました。

「アズハル総長はUAEから戻ってから感電したんだな、きっと。」


きっと脳の血管が切れて頭がおかしくなっちゃたんだね〜という、強烈な皮肉です。

一般のイスラム教徒は、西洋やイスラム諸国支配者の企みにも、ちゃんと気づいています。

「イスラム教の中にタイイブ師の言うようなものはない。これは西洋の伝統だ。西洋はアズハル総長をカトリック教会のローマ教皇のようにイスラム教徒達の最高権威に祭り上げようとしているがそんな努力は無駄だ。我々はコーランと我々の預言者のスンナにしか従わない。」


もはやイスラム諸国の支配層は、かつてのように簡単には大衆を騙したり、支配したりすることはできないのです。

テレビ放送の二日後、アズハルは公式HPで「タイイブ師は決して一夫多妻を禁じようとしているわけではない。 コーランやスンナの規範に反するような法を作ろうなどという趣旨は全くない」と釈明する声明を発表しました。

もちろん、「人々がタイイブ師の議論を誤解しただけだ」というのがアズハルの言い分です。 しかし、アズハル総長のイスラム法解釈に在野の一般大衆が噛みつき、それに対してアズハル本体が釈明するというのは、新しい現象です。

これまでイスラム教の知的資源と地位を独占してきたエリート層は、インターネットの普及に伴う「イスラム2.0」へのアップグレード現象の急速な拡大により、その地位を確実に脅かされつつあります。

「イスラム2.0」的な現象は、今後も世界各地で多く出現することになるでしょう。