2019年1月30日水曜日

2019年版「世界の脅威評価」とアジアにおけるイスラム過激派

ODNI(アメリカ国家情報官室)が2019年版の「世界の脅威評価」リポートを公開しました。

サイバー攻撃や大量破壊兵器等と並び「世界の脅威」のひとつとして取り上げられているのがテロリズムです。

テロリズムの第一に挙げられているのがスンナ派武装過激派であり、世界中に多くの組織を持つグローバル・ジハーディストは依然として世界の主たる脅威であり続けているとされています。

グローバル・ジハーディストを束ねる二大組織として挙げられているのが、イスラム国とアルカイダです。

両者の世界的な勢力拡大の実態は以下の地図に示されています。


斜線で示されたトルコ、エジプト、リビア、アルジェリア、マリ、ソマリア、イエメン、アフガニスタン、パキスタン、バングラデシュといった諸国にはイスラム国とアルカイダの両勢力が存在し、多くの場合両者は直接戦闘し牽制しあっています。

興味深いのは、シーア派が大多数を占めるイランがアルカイダの活動地域として明確に図示されている点です。

アルカイダの指導層がイランに潜伏し影響力を強めていることは、既にアメリカ政府や国連も指摘しています。

 イスラム国は領土を大幅に失った現在もイラクとシリアに数千人の戦闘員を擁し、世界中に8支部、10以上のネットワーク、数千人以上の支持者を保持し、依然として中東及びアメリカを含む西側諸国に対する攻撃を続けるだろうと予測されています。

またイスラム国はスンナ派イスラム教徒の抱える不平不満を吸収し社会的な不安定さを利用することによって、将来的にはイラクとシリアに再び広大な領土を獲得することを目指すだろうとも予測されています。

アルカイダについては、世界に広がるネットワークの指揮系統構造を強化しアメリカを含む西側諸国への攻撃の呼びかけを続けているものの、ここ数年その攻撃は国外の権益に対するものに限定されており、今後もその傾向は続くのではないかと予測されています。

またアルカイダの支部の中ではイエメンを拠点とするアラビア半島のアルカイダ(AQAP)、北アフリカとサヘル地域を拠点とするイスラムマグレブのアルカイダ(AQIM)が特に強大化しており、いずれも反政府武装闘争を展開しつつ「安全地帯」と資源を保持し、地域におけるアメリカの権益への攻撃の機会をうかがっているとされています。

2018年にジハード主義者が特に勢力を拡大させた地域としては、アフリカとアジアが挙げられています。

マラウィを占拠して半年以上フィリピン軍と攻防戦を繰り広げ今も各地でテロを実行しているフィリピンのイスラム国幼い子供を含む家族全員による自爆テロを連続的に実行したインドネシアのイスラム国など、アジアでのイスラム過激派の「活躍」は世界的に見ても顕著なものとなっています。

この後に及んでなんですが、「アジアのイスラム教徒は穏健だ」という思い込みはイスラム過激派には一切当てはまりません。

イスラム国家樹立を目指し武装して国軍と直接戦闘を繰り広げたり、あるいはテロ攻撃を実行したりするという点において、アジアのイスラム過激派は中東やアフリカのイスラム過激派と違うところは全くありません。

また国境を越えてグローバルに「活躍」するという点においても、皆等しく共通しています。

マレーシアのテロ対策部門長によると2013年から2018年までに同国でテロ容疑で逮捕されたのは445人であり、そのうち4分の1以上を占める128人が外国人だったとのことです。

テロ容疑で逮捕された外国人のうち最も多いのがフィリピン人で46人、次がインドネシア人で35人となっています。

タイやシンガポールといった東南アジア諸国の当局もイスラム過激派とテロに対する警戒を強化しています。

イスラム過激派やテロといった脅威はもはや、中東やアフリカといった日本から「遠い」世界だけのものではなくなっているということを、多くの事件や統計、情勢分析が指し示しています。

2019年1月29日火曜日

「イスラム教の宗教改革」について考える

エジプト当局がイスラム教の宗教改革に向け新たな一歩を踏み出しました。

国内外のイスラム教指導者のトレーニング施設、その名も国際ワクフ・アカデミー(IAA)の新設です。

エジプトのシシ大統領はかねてより、イスラム教を近代に調和させるために、イスラム教の諸概念を再定義し、それによってイスラム教についての言説を刷新しなければならないと主張してきました。


また早期・具体的にそれに着手するよう、エジプトの二大宗教権威であるアズハルと宗教省に再三要請してきました。


 IAAはエジプト宗教省主導のプロジェクトです。

オープニング式典でエジプトの宗教大臣は、「IAAはイスラム教についての言説刷新への呼びかけへの第一歩」であり、それは「イスラム教の知的閉塞と過激派に立ち向かう」ためであると述べました

これは、IAAを拠点にイスラム教の宗教改革を行っていくという宣言だとも解釈できます。

式典に参列したドイツのミュンスター大学イスラム神学センター長もこれを、「イスラム的啓蒙を促進する上で非常に重要な第一歩」だと評価

同アカデミーは、穏健なイスラム教のイデオロギーを広め、イスラム教についての言説の刷新に貢献し、多くのヨーロッパのイスラム教指導者をトレーニングすることになるだろうと期待を表明しました。

エジプト宗教省報道官によるとIAAは、

1)シシ大統領の「イスラム教についての言説を刷新せよ」という要請に応えるためのプロジェクトの一環
2)イスラム教についての誤解の払拭を目指す
3)国内外の男女のイスラム教指導者に対し6ヶ月間のトレーニングを施す
4)カリキュラムは啓蒙された科学的なもので、宗教(イスラム教)だけでなく経済、政治、心理学などの講義も含まれる

といった特徴を有し、ここで訓練を受けたイスラム教指導者は

1) イスラム教についての穏健かつ新しい展望
2)イスラム教のイメージをよくするための方法論
3) 過激派やテロを促すイデオロギーを否定するための方法論

などを身につけることが期待されているとのこと。

多くの人が誤解しているのですが、拙著『イスラム教の論理』にも記したように、現代のイスラム教指導者は、

「イスラム教の価値観は近代の価値観と矛盾する」

ことを認識しています。

イスラム教は神が創った神中心の規範ですから、人間が創った人間中心の規範を旨とする近代と矛盾するのは当然であり、イスラム教が比較するまでもなく近代より優れた規範であるのも当然です。

イスラム教は近代的だから素晴らしいのではなく、近代などというものをはるかに超越しているからこそ素晴らしいのです。(ゆえに、イスラム教は近代と矛盾するという私の指摘に対して「ヘイト」だと罵ることは見当違いも甚だしいのです。)

問題は、その先です。

エジプトの場合、政治権力者であるシシ大統領は、「だからイスラム教を近代に合うように改革しなければならない」と主張しています。

一方、イスラム教の研究・教育の殿堂であるアズハルは、シシ大統領の言い分は理解できるので妥協できるところは妥協するが、だからといってイスラム教の伝統全てを一掃するわけにはいかない、という立場です。

イスラム国は悪だが反イスラムだとは言えない、といったアズハル総長の発言は、伝統的なイスラム教の論理に則れば実にイスラム的に正しい発言ではあるのですが、シシ大統領はこれを煮え切らない態度とみなしイライラしてきた節があります。

実は今回の宗教省によるIAA新設の直前に、アズハルも自前のイスラム教指導者訓練所を新設しています。

ただしアズハルの方はイスラム教についての訓練のみで、政治・経済といった他分野の訓練は行われません。

IAAの講師陣にはアズハル教授らも含まれ、表面的には両者が対立しているわけではありません。

ただこれまでの経緯からは、エジプトが宗教省主導ですすめようとしている宗教改革がイスラム教の伝統をバッサリ切り捨て近代との調和を主目的にしている以上、アズハルと協調路線を取るのは難しいように思います。

IAAの試みについはサウジ当局も支援・協力を表明してはいますが、やはり世界中の全イスラム教徒の多くが賛同するとも考えにくいのが実情です。

なぜならイスラム教というのは神の啓示を字義通り虚心坦懐に受け止め、神の啓示に示された神の規範に従って生きることが神の奴隷である人間の務めであるという信念を根幹とする宗教だからです。

神の啓示・規範を、人間の生み出した「近代」という価値に適合するように解釈し直すことは、イスラム法の方法論を駆使すれば可能ではあります。

というか、この世に存在するほぼ全てのもの・ことについて、イスラム的に合法だと判断したければ判断できるし、違法だと判断したければ判断することができるという、イスラム法にはそうした側面があります。

この方法論を生み出してきたのは歴代のイスラム法学者たち自身ですが、彼らはそうした「禁じ手」を使うことに対して極めて謙抑的でした。

やろうと思えばできることを彼らがしてこなかったのは、そこに神への畏怖、自戒の念があったからに他なりません。(なお、これは私の博士論文のテーマでした。)

アズハルがシシ主導の宗教改革に及び腰である理由もまた同じです。

またいくらイスラム法の方法論上イスラム教を近代に調和させることが可能でも、それ以外の、啓示の文言に忠実で近代に調和しないイスラム教解釈を不正として禁じることは、イスラム法の枠組み内では不可能です。

それは国家権力を動員しなければできないことであり、この国家権力自体が啓示に忠実なイスラム教解釈上不正と見なされることは指摘しておく必要があるでしょう。

要するに、宗教改革によって過激派を抑え込むというのは斬新で抜本的な方策であるように見えて、実は国家権力の動員によって過激派を抑え込む従来のやり方と本質的に同じなのです。

果たしてこの試みが、イスラム教のイメージをよくしイスラム過激派を抑え込むという目的の達成にどの程度貢献することになるのか。

100年後くらいにようやく見えてくるものがあるような気がします。

2019年1月25日金曜日

カナダ人医師のソマリアでのジハード

イスラム国ソマリ州がソマリアでジハードをし殉教した戦士たちを紹介する動画を公開しました。

その中の一人にドクター・マジャルテイニーと称されるカナダ人医師がいます。


イスラム国はジハードの一環として医療を重視しており、かつてイスラム国入りしたオーストラリア人医師がいることなども知られています。

同動画のナレーションはドクター・マジャルテイニーについて、カナダからヒジュラ(移住、聖遷)してきてソマリアで殉教したと説明しています。

生前のドクターの映像が残されています。


首から聴診器をかけイスラム国の旗と銃をバックにしたドクターは完璧な英語で、不正なるソマリア政府に見捨てられた貧しい人々に無料で医療行為を施してきたと語ります。


治療した人々のほとんどが、病気に侵されているだけでなくひどい栄養失調状態にあったそうです。

神のおかげで、外科手術や歯科治療を必要とする人、赤ちゃんや妊婦などなど様々な人々を助けることができたと語った後で、ドクターは次のように続けます。

「イスラム国の外にいる兄弟姉妹たちよ、特に医師たちよ、我々はあなた方の助けを必要としている。神があなた方に対し『おまえたちは宗教とイスラム共同体に何を提供したか』と尋ねる日に、あなた方は何と回答するつもりだろうか?あなた方は不信仰者たちと背教者たちが昼夜を問わずイスラム教徒たちを爆撃しているのを見聞きしているはずではないか。あなた方に忠告しよう。ジハードに赴くのだ。そして天国の最も高き場所を予約するのだ。急いで乗り物に乗りたまえ。」

ソマリアのイスラム過激派組織といえばシャバーブがよく知られており、先日も隣国ケニアの首都ナイロビで高級ホテルの入った複合施設を襲撃するという大規模テロを実行しました。

しかし当該ビデオで紹介されているように、ソマリアにはイスラム国もいます。

ソマリアでイスラム国が旗揚げをしたのは2015年10月のことであり、シャバーブとの間で小競り合いが続いてきましたが、昨年末ついにシャバーブがイスラム国に対して正式に宣戦布告する動画を公開しました。

この中でシャバーブはイスラム国のことを「ジハード戦士たちを分裂させ弱体化させる病気」と非難し、これを根絶やしにしなければならないと主張しています。

ソマリアのイスラム過激派組織とはいっても、シャバーブがしばしばケニアを襲撃するようにその活動は決してローカルなものではありません。

またソマリアのイスラム過激派組織に参加する戦闘員も、当該動画で紹介されたカナダ人医師のように「グローバル化」しています。

アメリカ司法当局は先週、イスラム国に資金提供をしていた容疑などでミシガン州に住む3人のケニア出身イスラム教徒を逮捕したと発表しました。

うち1人は、ソマリアのイスラム国に参加するため出国しようとしたところを空港で逮捕されたとのことです。

イスラム国入りしようとする外国人戦闘員は、かつてはこぞってシリアそしてイラク入りを目指しました。

ところがシリアへのルートとなってきたトルコが国境警備を厳しくし、さらにイスラム国がシリアのラッカとイラクのモスルという二大拠点を失ったのに伴い、彼らはジハードの地を他に求めるようになりました。

そもそもジハード希望者がシリアやイラクを目指す必然性というのは特にはありません。

彼らはイスラム法によって統治された地に赴き(ヒジュラ)、そこで仲間とともにイスラム教の敵と戦うジハードに身を投じることを目的としているので、シリアやイラク入りすること自体が難しくなった今、行き先を変更するのは必然的ですし、イスラム国当局もそれを勧めています。

今、特に多くの外国人戦闘員が集結しつつある国のひとつとして挙げられるのが、フィリピンやリビアと並んでソマリアであり、米軍も対テロ戦争の一環としてソマリアでの空爆作戦を強化しています。

ソマリアは今や、世界のジハードの最前線のひとつなのです。