2018年4月26日木曜日

貧しい生い立ち、敬虔なイスラム教徒…サラーは「第四のピラミッド」

先日イングランドのプロサッカー選手協会は年間最優秀選手にリバプールでプレーするエジプト人FWモハメド・サラーを選出しました。


サラーはもちろんサッカー界でも大注目の選手ですが、地元エジプトでは子供も大人も憧れ熱狂するスーパースターにしてスーパーヒーローです。
エジプトは2011年の「アラブの春」でムバラク政権が崩壊して以来、政治的混乱が続き、全国各地で断続的に発生するテロで治安も極度に悪化、それゆえ国の基幹産業である観光業も落ち込み、このところまさに「いいことなし」の数年間でした。
2014年のシシ大統領の就任以降少しずつ安定を取り戻してはいますが、その何百万倍ものパワーでエジプト人を勇気づけているのがサラーです。
先月行われたエジプト大統領選挙においては、立候補もしていないサラーに100万票以上が投じられました。これは当選したシシ大統領に次ぐ「第2位」の得票数です。
サラーを一気にレジェンドの座へと駆け上がらせたのが、昨年10月に開催されたW杯アフリカ予選のコンゴ共和国戦です。
サラーは先制ゴールをあげた上に、試合終了直前相手に点を奪われてドローとなりエジプト中が意気消沈した直後、PKから決勝ゴールをあげ、これによりエジプトは7大会ぶりのW杯出場を決めました。
この試合後、地元メディアのインタビューに対し若者の一人は「サラーはエジプトの第四のピラミッドだ」と答えています。
ギザにある三大ピラミッドに次ぐエジプトが誇るべき存在、といった意味でしょう。 


サラーはナイル川下流のガルビーヤにある貧しい村に生まれ、親には彼に高等教育を受けさせるだけの経済力がなかったためサッカー選手になる夢を追いかけることに決めた、と言われています。
10代のころ、彼は家からバスを3本乗り継ぎ2時間以上かけて毎日カイロにあるサッカークラブに通いました。彼は地元を非常に愛していて、今でも友人の結婚式の際に村に帰ったりするそうです。
サラーは熱心なイスラム教徒としても知られています。
そのことは、2014年に生まれた娘にイスラム教徒の聖地にちなんで「メッカ」という名をつけたことからもうかがわれます。

サラーはイスラム教徒の間では「メッカのお父さん」と敬意を込めて呼ばれることも多く、そのことと関係しているのかどうかはわかりませんが、昨今はメッカの土地の一部をサラーに献上しようとか、メッカにサラーの名を冠したモスクを建設しようなんて話まででているほどです。
彼は毎日の礼拝も欠かしません。
また時にピッチに額をつけて神に感謝の意を捧げる様子は、イスラム教徒同胞の心をうちます。
貧しい生い立ちにも関わらず努力で夢を実現させ、スーパースターになっても地元愛を失わず、またイスラム教徒として神への感謝を決して忘れない。 
サラーはエジプトのスーパースターの要素をすべて兼ね備えていると言っても過言ではありません。
サラーはエジプト人に対して常に「夢見ること、信じることを諦めるな!」とメッセージを送っています。
私は2011年から15年という、エジプトで2度の「革命」という名の政権転覆が発生し、テロリストが跋扈して毎日のようにテロを行うという、近代以降エジプトの最悪期ともいうべき4年間をエジプトで過ごしました。
エジプト人の痛みや悲しみ、絶望、そして憤りを、その4年間ずっと目の当たりにしてきました。
サラーがエジプトにもたらした一筋の光が、エジプトの未来を少しでも明るく照らしてくれますようにと願わずにはいられません。

2018年4月24日火曜日

コーランの章句を無効化せよ:フランス著名人らの共同声明にイスラム教徒反発

先日、サルコジ元大統領をはじめとするフランスの著名人約300人が名を連ねる「新しい反ユダヤ主義に反対する声明」がフランス紙ル・パリジャンに掲載されました。

同声明は、近年の反ユダヤ主義を「静かなる民族浄化」であると告発し、これはイスラム過激派によって引き起こされたところが大きいとしています。

また同声明は、「我々の時代だけでも11人のユダヤ人が単にユダヤ人であるという理由だけでイスラム過激派に暗殺されている」とした上で、「イスラムフォビア(イスラム嫌い)」 だと批判されることを恐れてイスラム過激派による反ユダヤ主義の断罪を避けてきたメディアに対しても批判をしています。


ここでは2015年にシャルリーエブド襲撃と同じタイミングでユダヤ系スーパーマーケットが襲撃されユダヤ人4人が殺害されたことや、2017年に65歳のユダヤ人女性が「神は偉大なり(アッラーフアクバル)!」と叫ぶ隣人のムスリムによって窓から突き落とされて殺害されたことなどが言及されています。

その上で同声明はイスラム教における「神学の権威たち」に対し、ユダヤ人、キリスト教徒、不信仰者に対する殺害や処罰を示すコーランの章句を「無効化」し、イスラム教徒たちがコーラン章句にのっとって犯罪を犯すことのないよう指導すべきだと要求しています。


これに対し、パリ大モスクのイマームは「この声明はフランスのイスラム教徒に対する権利の侵害であり、他宗教間の暴力を増幅させるだけだ」と批判、フランスのイスラム教徒の大部分は共和国の理念に忠実に暮らしていると主張しています。

またイスラム教評議会議長は「こんな声明に何の意味もない」と一蹴。

ブリュドゥー大モスクのイマームは、「コーランは章句のひとつひとつ全てが聖なるものだ」と「無効化」について否定しています。

これらの言葉にみられるよう、イスラム教徒はコーランがアラビア語で下された神の言葉そのものであり、その全てが神聖不可侵であると信じています。

イスラム教の信仰というのは、それを正しいと信じるところから始まります。

ゆえに、「コーランのこの部分は現代社会の倫理にそぐわないから無効にしよう」という発想は根本的に存在しえません。

イスラム教徒の中にも「反ユダヤ主義はよくない」というこの声明の趣旨に賛同する人はいると思われますが、「だからコーランの反ユダヤ的章句を無効にしなければならないのだ」という一文に賛成する人はただの一人もいないはずです。

もしこれに賛成するイスラム教徒がいるとすれば、その人はイスラム教の教義上、もはやイスラム教徒ではないとみなされます。

というのも、神の言葉たるコーランに過ちがあるとみなすことは、それを啓示した神が過ちを犯したとみなすことになるからです。

イスラム教において神は全知全能にして絶対善であるとされています。

イスラム教徒であることと神の言葉たるコーランを絶対視することとは同義なのです。

この声明には、カトリックの総本山たるバチカンも聖書の過ちをみとめ反ユダヤ主義と決別したのだから、イスラム教も同じようにすべきであると記されています。

しかし、これは論理として全く成立していません。

いくら声明に名を連ねているのが著名な「セレブたち」だとはいえ、イスラム教徒はこんなことを言われたところで反発するだけで、「反ユダヤ主義」を食い止める効果など全く期待できません。

フランス流の世俗主義、多宗教共存にきしみが生じてきた原因の一端はフランスの支配層に広く見られる「イスラム教の論理」に対する無知にあり、また近い将来このきしみが緩和される望みも薄いだろうと改めて思わされた事案でした。

2018年4月19日木曜日

タイにイスラム国拠点構築計画:マレーシア当局が追うタイ人イスラム国戦闘員

マレーシア当局が指名手配をして追っているタイ人イスラム国戦闘員はタイ深南部にイスラム国の拠点を築こうとしている、とマレーシア治安当局筋がチャンネル・ニュース・アジアに語りました

この人物はAwae Wae-Eya(読めない…)という名の37歳のタイ人。


以前こちらに記したマレーシアでのイスラム国細胞掃討作戦の際逃走した4人のうちの1人で、マレーシア諜報筋は彼こそがこのテロ細胞のリーダーだと見ています

Awaeはタイ深南部からTelegramやFacebook経由で合計9人のマレーシア人の勧誘に成功し、マレーシアのジョホールにある教会や寺、フリーメイソン施設への攻撃の他、マレーシア警官を誘拐してタイ深南部に連れ帰りそこで殺害する計画も立てていたとのこと。

マレーシア当局は、Awaeはイスラム国指導者であるカリフ・バグダーディーに忠誠を誓っておりシリアとも関係を持っていて、タイ深南部に拠点を構築して世界中のテロ組織からジハード資金を調達することをめざしていると語っています。

マレーシア当局はAwaeはすでにタイ深南部に戻ったとみているものの、タイ当局は公式のコメントを出しておらず、取材に応じたタイ軍の大佐も「Awaeはイスラム国ではないと思う」と述べるにとどまっています

こちらに記したように、タイ深南部にはイスラム教徒が多く住んでおり中にはタイからの独立を目指して武装闘争を展開する一派もいます。

今年1月にバイク爆弾で3人が死亡したのにみられるよう、2004年からこれまでにタイのムスリムによる暴動や武力闘争による死者は7000人を超えています。

しかし基本的に彼らが目指しているのは民族独立であり、イスラム教徒ではあってもイスラム国のようなカリフ制再興といった超国家的、普遍的イデオロギーを掲げているわけではないとされてきました。

ゆえに、もしAwaeが本当にバグダーディーに忠誠を誓ったイスラム国戦闘員でタイに拠点構築を目指しているならば、これは非常に大きな意味を持ちます。

東南アジアのイスラム過激派の専門家は、タイ深南部のイスラム武装勢力は民族主義的であって基本的にイスラム国のイデオロギーを共有してはいないとした上で、タイ治安当局はこれまでに多数のイスラム国の旗やビデオなどを押収している他、パッタニー県からのイスラム国関連サイトへのアクセス数が非常に多いことなどを指摘しています。

既述のようにだんまりを決め込んでいるタイ政府ですが、タイ首相は奇しくも今日、マレーシアとの間のナラティワート国境に今月末までに「安全地帯」を設けると発表しました。

タイ政府の認識は、タイ深南部の問題はあくまで「国内問題」でありグローバルなテロとは一切関係ないというものであり、その姿勢は一貫しています。

プラウィット副首相もこの「安全地帯」は政府と和平交渉を行っているMARAパッタニーの双方にとってよいものだ、と会見で述べており、これとAwaeの案件とを関連付けてはいません。

一連の事件をマレーシア当局の発表から見直すならば、Awaeという37歳のタイ人ムスリムはインターネットを使ってマレーシア人9人(うち2人はシンガポール在住)をリクルートしジョホールでイスラム国テロ細胞を構築することに成功し、フィリピン・イスラム国のリーダーの側近も仲間に入れることに成功し、資金集めや武器調達、テロ攻撃の作戦を具体的に練るところまでは成功した、ということになります。

繰り返しますが、Awaeは現在も逃走中です。

2018年4月18日水曜日

イスラム社会における働き方改革

「イスラム社会における働き方改革」というテーマで原稿を、と依頼されたので、以下のような文章を寄稿しました。

モロッコの田舎の郵便局で自分宛の荷物を受け取るためだけに丸一日費やしたこと、同じくモロッコで学生ビザ更新の手続きに警察署長のサインが必要だったため警察署に通い詰めたがサインをもらえるまでに一ヶ月かかったこと、エジプトの悪名高き政府庁舎モガンマアで日常的に繰り広げてきた常時不在の担当者との飽くなき戦い、同じくエジプトのプレスセンターで手続きを急ぐこちらをよそに職員のほぼ全員がFacebookに熱中していたある意味壮観な様…。

当時はそのたびに「私の貴重な時間を返せ!」とイライラしていたものですが、今思うと貴重な経験をさせていただいていたのかもしれない。

いや、そうにちがいない。

(以下寄稿文。リンクはこちら。)

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働き方改革が求められているのは日本だけではありません。

イスラム教徒が多数をしめる社会においても、様々な側面から働き方改革の必要性が訴えられています。

イスラム教徒を雇用する側にとって悩ましい問題のひとつが、労働時間内に礼拝を認めるべきか否か、認める場合にはどの程度の時間が妥当か、というものです。

というのも、イスラム教徒は1日に5回礼拝することが宗教上の義務とされているものの、度を越した「長時間礼拝」による労働生産性の著しい低下がしばしば確認されるからです。

たとえば労働時間が9時から17時までとすると、5回の礼拝のうち概ね2回はそのタイミングと労働時間が重なります。

労働時間が11時半から19時半の場合、場所や日によっては4回の礼拝のタイミングがその時間内におとずれます。

仮に1回の礼拝ごとに15分の休憩を認めるとしても、4回ともなれば1日合計1時間は礼拝休憩に当てられることになります。

これは軽々に判断できる問題ではありません。

エジプトの人材育成組合の調査によると、エジプトの公務員の基本労働時間は7時間ですが、実際に仕事をしているのはわずか30分程度にすぎないとのこと。

同調査によると、エジプトはこれでもまだましなほうで、アラブ諸国の公務員の実質労働時間は1日平均18分から25分だそうです。

おそるべき生産性の低さです。

いや、これは生産性以前の問題です。

さらに驚くべきは、エジプトをはじめとするアラブ諸国の公務員数の多さです。

エジプトの人口は9500万人ほどですが、公務員は約700万人います。

国民の8人に1人ほどが、実際は30分しか仕事をしていないにもかかわらずフルタイム労働をしている体裁で国庫から給与を得ているとしたら、真面目に働くのがバカらしく思えるのも当然です。

この原因のひとつとされているのが「長時間礼拝」です。

エジプトでは役所に行った際、担当者が礼拝に行っているという理由で無期限待機を言い渡されることは稀ではありません。

私企業においても状況は似たり寄ったりです。

礼拝に行くと言ったまま1時間たっても戻らない従業員を探しに行ったところ別の部屋で昼寝をしていた、などという事例は、ごくありふれたものです。

この「長時間礼拝」問題解決に立ち上がったのは、宗教界です。

エジプト出身の著名なイスラム法学者であるユースフ・カラダーウィー師は、「イスラム教徒であっても仕事中は仕事に集中すべきであり、職場での礼拝は簡略化し、長くても10分以内に終わらせるべきである」という宗教令を発行しました。

カラダーウィー師は暗に、礼拝を口実に仕事をサボる人のことを戒めているわけです。

その証拠に同師は、職場には礼拝前の浄めが簡単にできるような服装をして行くべきだ、などともアドバイスしています。

礼拝には様々な作法があるのですが、たとえば礼拝前の浄めを行うためにわざわざ遠方の水場まで出かけたり、礼拝中にわざわざ気の遠くなる程長いコーラン章句を暗誦したり、さらには前にやりそこなった礼拝を今やりなおそう、などと始めたりすると、それこそいくら時間があってもたりません。

しかし宗教界も、「長時間礼拝」禁止で足並みが揃っているわけではありません。

サウジアラビアの法学者スィルミー師はカラダーウィー師の法令に対し、「礼拝とはそもそも長時間かけて行うべきものであり、10分以内に済ませろなど言語道断」と反論しています。

イスラム社会の働き方改革も道のりは険しそうです。



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